●厳しさについての誤解
「先生は厳しい? 優しい?」。
小学校の教師だったころ、4月に新しいクラスを受け持つと、子どもたちがよくこう聞いてきたものです。
これは子どもたちにとって最大の関心事だからです。
なんといっても、それによって一年間の運命が決まるのですから。
ある年、3年生を受け持ったとき、始業式が終わった瞬間にある男子が聞いてきました。
子「先生は厳しい? 優しい?」
私「優しいですよ」
子「やったあ!」
私「優しくて厳しいです」
子「え~、どっちなの?」
私「両方です」
すると、その子はしばらく考えてから、「先生はすぐ怒る?」と聞いてきました。
私「全然怒らないよ」
子「あ~、よかった」
私「でも厳しいよ」
子「え、どっちなの?」
その子は、「意味がわからない」といった顔できょとんとしていました。
この会話でわかるように、子どもにとって「厳しさ」とは、すぐ感情的になって怒りを爆発させることなのです。
本当の厳しさは、それとは全く別のものなのですが、子どもにはわからないのです。
でも、それは子どもですから仕方がないことです。
問題は、親たちも含めて多くの大人たちが「厳しさ」について子どもと同じような誤解をしていることです。
●怒りをぶつける人は自分に対して甘い
わかりやすいように具体例を出します。
例えば、ある家庭で、お手伝いとして子どもが庭の掃き掃除を毎朝すると決めたとします。
たいていの場合、最初の1週間くらいは子どもは張り切ってやりますし、親もほめます。
でも、その後はだんだん親がそのことに触れなくなり、同時に子どももやらなくなります。
ついには、双方ともまったく忘れてしまいます。
ところが、あるとき何かのきっかけで親が急に思い出します。
そして、「このごろ忘れてるじゃないか。サボってないでちゃんとやらなきゃダメじゃないか」と叱りつけます。
本当は自分も忘れていたのすが、そのことには触れないで子どもだけを責めます。
そして、こういうとき感情を爆発させて叱りつけることが厳しさだと勘違いしている人が大勢いるのです。
つまり、先ほどの子どもと同じような誤解をしているのです。
でも、これは本当の厳しさとはかけ離れたものです。
厳しさどころか自分に対する甘さであり、その人の未熟さの表れに過ぎません。
弱い相手を犠牲にして自分のイライラを発散させているだけの愚かな行為です。
●親がすべきことは毎日の見届け
本当は、子どもが庭の掃き掃除をすると決めたとき、親も一つの決意をすべきだったのです。
それは、「このお手伝いを成功させて、達成感を持たせて、子どもに自信をつけさせよう。そのために親がすべきことを必ず実行する」という決意です。
親がすべきこととは、具体的には、毎日必ず見届けをすることです。
見届けとは、やるべきことを子どもがやったか確認して、やってあったらほめ、もしやってなかったらやらせてほめることです。
これなら、子どもがやってないときも、その日のうちに見つけてやらせることができるので、傷が浅いうちに手当てできます。
「さあ、今からがんばって」とか「たいへんだけどがんばろう」などと促せばいいだけのことです。
あるいは「じゃあ、一緒にやろう」と言って負担感を軽くしてあげることもできます。
●親の見届けが続けば子どもも続けられる
もし見届けをしていてもなかなかうまくいかないときは、そもそもその仕事がその子に合っていないなど、決めた内容に問題があると考えるべきです。
そうすれば、もう少し楽にしてあげたり、別の仕事に変えてあげたりすることもできます。
それによって、続けることができるのです。
お手伝いに限らず、勉強でも運動でも生活習慣でも何でも、親の見届けさえ続けば、子どもも続けることができます。
親の見届けが続かなければ、子どももやり続けることはできません。
それは、日光がないところで植物が育たないのと同じことです。
日光に当てなくて植物が枯れたとしたら、それは植物のせいではなく、日光を当てなかった人の責任です。
ですから、親が子どもにお手伝いをやらせると決めたとき、毎日見届けをするということを自分に課すことが必要です。
そして、それを続けることこそが厳しさです。
つまり、本当の厳しさとはまず自分に向けられるものなのです。
それがあって初めて相手もその姿の中に厳しさを感じ取り、自分にも厳しさを求めるようになるのです。
●相手に優しい人は自分に厳しい
大人同士においても同じことが当てはまります。
上司がやるべきことは、部下の仕事をしっかり見届けて、やれていればほめ、やれていなかったらやらせてほめることです。
上司がこれを確実にやれば部下は伸びます。
そういう自分に対する厳しさを備えている上司なら、部下も尊敬の気持ちを持ちますし、自分にも厳しさを求めるようになります。
部下の仕事をろくに見てもいないで、うまくいかなかっときに感情的に叱る上司もいます。
こういう人が、部下の尊敬を得るということは絶対にあり得ないことです。
最後にまとめます。
子どもが続けられないのは子どものせいではありません。
それは親の見届けがないからです。
親が確実に見届けを続ければ、子どもも続けられます。
それが子どもの成長を願う親の優しさでもあります。
相手に優しい人は自分に厳しいのです。
初出『月刊サインズ・オブ・ザ・タイムズ(福音社)2014年9月号』